フランス人が東京で考えた。-働き方・休み方-

フランス語会話学校エコールサンパのスタッフがライフスタイル、日本での生活を通して考えたことを、サンパに(sympa: 好意的に)本音で語ります。

フランスの大学から職業生活第1歩を踏み出すまで

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フランスの大学での学業にかなり長い年月をかけました。最初に理数系を専攻し、そのあと文系を専攻しました。本当に進みたい道が何なのか本気で自分に問い正し、探し、見つけ、それに必要な知識をつけるためでした。

 

子どもの頃はビデオゲームのクリエイターが夢でした。物心ついた頃、テレビではドラゴンボールやセントセイヤーなど日本アニメのフランス版が流れ、ファミコンが流行っており、こうしたものに囲まれて育ちました。

 

高校時代に好きだった科目は言語(フランス語、スペイン語、英語)と数学でしたが、大学では理数系を選択しました。ビデオゲームのクリエイターになるには理数系のディプロムが必須だったからです。時間をかけて数学と情報系の勉強をしました。卒業を控えたころ、夢の実現への準備は整ったかに見えました。にもかかわらずその時私は、近い将来クリエイターとして働く自分の姿をはっきり描くことが、どうしてもできませんでした。悩みに悩みました。これまで身につけた専門知識を活かせる、他の道もありました。でもそれはビデオ業界ほど、自分のモチベーションを掻き立てる世界でないように思えました。今ある知識を活かせる道を探るより、本当に就きたい仕事のための知識が欲しい。その渇望が勝ちました。思い切って大学でゼロからの再出発を決めました。

 

最初に専攻した分野を修了する間際から、独学で日本語を勉強し始めました。そのあと文学部に入って、日本語、英語、経済、法律を選択しました。そして日本語学科3年目の年、チャンスが訪れました。名古屋の南山大学への交換留学生に選ばれたのです。この1年が私の人生の大きな節目となりました。日本で生活し、日本語を話し、土地の人と共に生きる。アニメやビデオゲームの世界とは全く別物でした。学業のかたわら、名古屋外国語大学のフランス語の授業にボランティアとして参加しました。ここで自分のやりたいことが完璧な形となって現れました。日本で教師になる、という道です。しかしこの年仙台や福島での悲劇がありました。それでも今ここで学業を切り上げてフランスに帰国しても何にもならない、そう思い、年度末まで日本に留まるために、持てる限りを力を尽くし、粘り強く交渉しました。

 

無事に留学生活をおえてフランスへ帰国する頃、私の決意は固まっていました。次の年は和仏翻訳を勉強しました。同時にフランス語教授資格の取得を目指し、日本でのフランス語教育に必要な基礎を固め始めました。フランス空軍に日本語を教える機会もありました。教師としての初めの一歩でした。大学で学んだフランス語教授の知識を日本語レッスンに応用し、授業内容を組み立て、自分で自分を養成しました。そして長い大学生活をおえ、日本でのフランス語教師の職を探し、今の仕事に就きました。

 

元々私は勉強好きな性質ですし、道を定めてから必要な知識を習得するまでは、比較的早いほうだったと思います。それでも実務からしか学べないこともありました。フランス語教師の経験ゼロで再来日して働き始めたばかりの頃、最初の大きな壁にぶち当たりました。大学で学んだ理論と現場は全く別物に感じました。生徒さんは外国人ですから、理論どおりにいかないのは今思えば当然のことです。

 

現場に馴染むまでの短く濃密な時間を経て、私は教師としての技能を発展させ、技術を確立しました。仕事を通して、生徒を知ることの大切さも感じました。彼らの不安、望み、自分自身に期待していること。それらに深い関心を持つことは、質の高いレッスンと同じレベルで重要だと思います。

 

2年あまりの経験を経た今の私は、生徒さんにとってマジシャンみたいな存在ではないけれど、フランス語を教えるプロであり、フランス社会への案内人でもあるという、2つの役割をこなせていると思います。ここまでの自分の進歩には大変満足していますが、学生時代からの経験をとおして学んだ大事なことをこの先もいかせば、もっと良くなると思います。それは、前進し続けるためには自分への問いかけが大切、ということです。

(Laurent Z)

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